ランニングと海が

海まで走って一休み。帰りも走るつもりが、気が変わってのんびり歩く。そんな日々も気づけば二十数年。50代も半ばを過ぎたgayの身辺雑記。

春一番が吹いて、今朝は雨になった。おとといまでの寒さがうそのようだ。

三善英史の歌った曲。
 
 雨に濡れながら たたずむ人がいる
 傘の花が咲く 土曜の昼下がり

「日陰の女」の哀しさと強さを表現した作品で、大ヒットした。彼はこの後、花街に生きる母親を歌った曲も発表して、独特のポジションを築いていたと思う。

 恋はいつの日も 捧げるものだから
 じっと耐えるのが つとめと信じてる

子どもだった私は、この曲を聞きながら何を思っていたのだろうか。「大人って大変なんだ」「恋愛すると損得は考えないのかな」etc.
還暦が近づき、酸いも甘いも噛み分けた(?)はずの今でも、分からないことだらけだが、何といっても不可解なのは、色恋に関わること。道ならぬ恋とか結ばれない二人とか…。歌の世界では、永遠のテーマと言っても良いものだろう。
幸か不幸か「男と女」のドロドロしたものとは、一歩も二歩も離れたところで生きて来られた。ドラマチックなストーリーの、小説や映画や歌は大好きだけど、そんな「現実」は勘弁してもらう感じ。

この曲もそうだが、現実にあることをどこまで、美化・誇張・歪曲した上で、普遍性を持たせられるかが作詞家の腕の見せ所だろう。あくまで、空想の産物だが、だからこそ「限界」があって、行き過ぎるとヒットしないということなのだろう。

「そんな人がいるはずない」「そんな人がいたらちょっと良いな」「そんな人が本当にいたら怖い」
聞く人にいろいろな思いを抱かせる詞が、流行歌には欠かせない。

最近の歌(曲)に疎いので、私の空想を掻き立ててくれるような魅力的な人物や設定の作品を、紹介して下さい。

何年ぶりかの積雪

昨夜から降り始めた雪が少し積もって、日中も時折降っていました。道路上の雪はすっかり消えたものの、今夜また降るような感じですから、明日は交通機関に影響があるでしょう。たまたま私は明日まで休みなので、家でゆっくりしようかと思っています。


福岡でこれほど寒いのだから、北陸や東北、そして北海道などは…。想像もつかないというのが正直なところです。
勿論、旅行客として訪れたことは何度かありますし、スキー場で吹雪にあった経験もあります。ただそれらはあくまで「遊び」だし、それも含めての楽しみだと言うべきでしょう。先日記事に書いたこと、「福岡も寒い」という内容でしたが、ちょっと甘かったなぁと反省しています。不愉快な思いをなさった方に、おわびします。

極寒

北国の方には、鼻で笑われそうだが何しろ寒い。

東京で過ごした学生時代を除いて、ずっと福岡で暮らしているが、今年は本当に寒い。

他の地域の方には、「九州」というくくりで捉えられ、「南国」とか「暖かい」というイメージがあることだろう。声を大にして言いたいのは、福岡は日本海に面していることもあり、全然「暖かく」ないということ。f:id:nobuon109:20180206104148j:plain

一旦離れて、戻ってみて実感したのが「東京の冬はからっとしていて、それほど寒くなかった」「一方、福岡はどんよりしていて寒い」ということだった。それから幾星霜…。温暖化が、杞憂だったと思ってしまうほどの寒さはいつまで続くのだろう。

折りも折り、今日は高校の推薦入試。ダイヤが乱れたバスを諦めて地下鉄で出勤したが、車中には受験生とおぼしき中学生の姿もチラホラ。彼らに、そしてすべての人に「暖かな春」が訪れますように。

私には「爛れた春」とか「目の眩むような夏」とかも、大歓迎だ。

雪が降る…(立春に寄せて 好きな歌)

節分も過ぎて、今日は立春だというのに、何という寒さだろう。
珍しく土日が休みなので、やりたいことをやろうと寒さにめげず、動いている。

昨日は今月初めてのランニング。久し振りに小高い場所にある神社まで。ちょうど節分ということで、賑やかに祭事が行われていた。沿道には露店も出ていて、活気があった。社会人になった我が子達がまだ幼かった頃、家の中で「豆まき」をしたことが思い出されて、感慨深いものがあった。

そして今日。雪が降る中、自転車で図書館に行き軽いもの(紀行文)から、重厚なテーマの小説まで何冊か借りて来た。往復する間、頭の中で流れていたのは「雪」という曲。

「雪が降る 立ち話してるだけで
 雪が積もる 二人の傘に 
 あなたは明日 行ってしまう
 夜汽車に乗って 行ってしまう」

と悲しげなメロディに乗せて切々と歌うこの曲を初めて聞いたのは、飛行機の中だった。歌っていたのは松原健之(まつばらたけし)、初めて名前を見る人だった。サビの部分が
「雪国の娘だから 遅い春を 遅い春を
 ずっと待つけれど 迎えに来てくれますか」

第一印象は「凄い演歌だ!」。次に「けど、わりと好きだな」。家に帰って、曲や歌手について検索してみるといろいろなことがわかって来た。

何度も書いているように、私は音楽の素養がないので、自分で歌うことも演奏することもままならないが、気に入っている。誰か上手な人がカラオケで歌うのを聞いてみたい。

1月の総括(130&映画評)

今日から二月。降雪の予報が出ているところも多いようです、皆さんご注意下さい。

さて、恒例(?)の前月の総括。
前半は敢えて走ることを休止してみたが、体調や体重、心境・時間の使い方などに大きな影響はなかった。これはどういうことなのか。「走ること」は自分の中で、かなり大きなウェイトを占めていると思っているが、実はそうでもないのかもしれない。あるいは、半月ぐらいやってもやらなくても関係ない程度のことなのか?

もっと「走り込んで」怪我や故障に苦しむのは、本意ではないというか、本末転倒。これまでもこれからも、私にはないこと。
一方で、たまに走って翌日筋肉痛ということもなくて済むので、やはりこのくらいがちょうど良いのだろう。

走る代わりに、家でDVD を5本観た。ケーブルテレビで放送された映画も数本。
カズオ・イシグロの「私を離さないで」は良かった。重厚な作品で見ごたえがあった。

邦画では、アニメーションの「この世界の片隅に」が期待を上回って、良かった。いろいろなところで、高い評価を受けているだけのことはあるなと感じた。

年度末が近づいて(寒さが続く)

今年の冬は、本当に寒いですね。全国的にもそうだし、地球規模でも。
大雪による被害も深刻で、お見舞申し上げますと言うしかありません。

さて、早いもので一月ももうすぐ終わり。仕事は一つ節目を迎えて、年度末までは毎度のことながら、慌ただしく過ぎて行くことでしょう。
こういう書き方をすると、まるっきり「当事者」感がないヤツだと思われるかもしれませんが、良くも悪くもその通りです。私自身は、自分の出来ることを「当り前」にやって来て、30数年が経過したと思っていて、それ以上でもそれ以下でもないのですが、人それぞれでいろいろな捉え方があるのでしょうね。

先日、管理職による評価(各人の自己評価に基づくもの)の決定とその告知がありました。これを根拠として、次年度の待遇が決まります。ごく標準的な評価を受けたので、面接の場で質問してみました。
「どんなところに改善の余地がありますか?」

返って来たのは、「年齢や経験を踏まえて、もっと若い人達に働きかけをして欲しい」「充分に力を発揮していると思うが、まだ余力があるのではないか」という趣旨のことでした。
鋭い指摘だなと感じたのが半分、ちょっと買いかぶられているなというのが半分でした。

現時点では、定年退職まであと4年余り。今後制度が変わる可能性もあるのですが、「ゴール」は確実に近づいています。それまでに、少しは「変わる」ことも必要かなと思うところです。具体的にはまだつかめないので、とりあえず今年度の締めくくりを「当事者」らしく、過ごしてみようと思っています。もっともそれは、「バリバリ残業する」とかでは断じてありません。「私らしくて、なおかつ新鮮な」仕事のありようというのを模索してみます。

今年初の(part 2)

ニュースでご覧になった方も多いかもしれない。急に気温が上がって、18℃を超えて3月から4月の陽気になった。やはり、寒いよりは暖かい方が嬉しいし、走り易い。午前中に一時間半走り、二日連続。これも今年初ということになる。

午後は図書館に行った。今年初。f:id:nobuon109:20180116203759j:plain

二年間続けた、「読んだことのない作家にチャレンジ」は今のところやらないつもりなので、何冊かなじみのある人の作品を借りて来た。

ここまで書いて、年頭の計画と全然違うのではないかという思いが頭をよぎる。読み返してみたが、特別なことを何か「宣言」したりしてはいないので、ひと安心というか、改めてヒドい「一年の計」だと呆れるばかり。
読んで下さるみなさん、こんなぐうたらな私が何か「ヤル気」を掻き立てられそうなことがあったらアドバイスをお願いします。