ランニングと海が

海まで走って一休み。帰りも走るつもりが、気が変わってのんびり歩く。そんな日々も気づけばかれこれ30年近く。還暦を過ぎて、定年退職と転職さらには離婚と身辺には大きな変化がありました。新しい仕事にもようやくなじんで来たところです。単身生活にもすっかり慣れて、行動範囲を広げつつあるgayの身辺雑記。

改めて、ランニングの効用

前回、なんとなく調子が悪いことや仕事でつまらないミスをしていることを書きながら、思うように走れていないことも影響しているのではないかと考えた。

「貴重」な曇りとなった一昨日、いつものコースを走りつつ「不調の原因」を整理してみた。イレギュラーな業務と、それに伴う勤務時間・休日の変更が発端だというのは前に書いた通りで、こうして再確認してみるまでもなく、「些細な」ことである。
そして、この程度のことで「きっちり」というか「洩れなく」調子を崩すほど、「繊細」なのが自分という人間なのだと思い至って、苦笑した。
諦めとも、開き直りとも違うこの感じ。良し悪しではなく、「本来の自分」をそのまま認めることと言えば、ちょっときれいごとに過ぎるかもしれない。

仕事以外の時間を何に使っているか、そこにその人らしさが現れる。私の場合は、走ることと文章を読むことに、80%ぐらいをあてている。今回のちょっとした不調で、改めてランニングの効用を実感した。「走る時には何も考えない」という人もいるようだが、私はあれこれ考えていることがほとんどだ。その時々の自分の状態をつかんで、必要なら何か調整したり、じっくり待ったり、誰かに話してみたり。走る時間が、私にいろいろなヒントをくれる。健康な身体と、好きなように時間を使わせてくれる家族に、改めて感謝である。f:id:nobuon109:20171019200927j:plain

通勤路に、秋の気配が濃くなって来た。銀杏並木を走って帰ろう。

10月も半分過ぎた

私にしては珍しく、仕事でバタバタしている。

イレギュラーなイベントがあったので、勤務時間がスライドしたことが原因の一つかもしれないが、肉体的な疲れを自覚することがあって、そのこと自体がストレスだった。そういう状態になると、普段はしないような書類上のミスとか、単純な連絡洩れとかを連鎖的に起こしてしまい、まさに悪循環だった。

間の悪いことに、ぐずついた天気が続いて走ることもままならない。昨日までで、走行距離は80キロ。走ることでストレス解消をしていたんだなぁと改めて思った。

今日・明日が休みなので、のんびり過ごしながら、何かきっかけをつかんで気持ちを立て直したいと思っている。

9月の総括(123)

自戒を込めて、月が変わらないうちに総括を。

バタバタしているうちに、いつの間にか過ぎて行く毎日という感じの9月だった。台風の被害が大きかった方には、この場でお見舞い申し上げます。

さて、123という数値は恒例の月間走行距離である。明らかにモチベーションが落ちている。雨や仕事を口実に、走らない自分がいた。

走らないから、体重が増えるとか体調が悪いとか…何らかの変化があれば、それが走るきっかけになるのだろうが、幸か不幸か全くない。
元々、毎日走らないといけないという強い意思とか、走らないと気持ちが悪いということもない程度のランナーなので、20年緩く続けて来られたのだろう。夏のフルマラソンが、結果はともあれ終わったので、小休止ということで強引にまとめて、明日からまた、走ることにしよう。

巨人の星よりアタックNo.1(スポーツ考)

いつも読ませて貰っているブログがあって、そこで展開されるみなさんのやりとりに、感心することがしばしばである。

先日は、ゲイとスポーツ(運動)の関わりというか、子どもの頃から多くの人が特定の種目に、苦手意識を持っていたことや、それを避けて「勉強」に走ったこと、成人してからもコンプレックスが強いこと、我が子にキャッチボールをせがまれたらどうしようと悩んでいることなどが、ユーモアたっぷりにあるいは真剣に語られた。

私もコメントをさせてもらったので、ダイジェスト版をこちらに。

巨人の星」より「アタックNo.1」が好きだった。
前者は、主人公が父の果たせなかった夢を叶えるべく、野球を強制され、さまざまな苦労の末に亡くなる話。
対照的に後者は、恵まれた家庭のお嬢さんが転地療養のために移住した土地で、たまたまバレーボールと出合い、その魅力に触れてひたすら打ち込むという話。野球とバレーボール、どちらが好きかということではなくて、スポーツに対する捉え方の問題である。
スポーツを何かの手段にすること、特に貧困を乗り越えるためにスポーツを利用することに、強い嫌悪感を覚えていた子どもだった。周囲の熱狂をよそに「やりたい人がやればいい」と言い切り、半ば強制的に参加させられる地域のソフトボールの練習を拒否していた私は、間違いなく「異端児」だったがそのことでいじめられる訳でもなかった。好きなようにさせてくれた、周囲の人に感謝するばかりである。

初秋の三連休

これを読んで下さっているみなさんの多くは、今度の週末が三連休になるのだろうか。来週の秋分の日はたまたま土曜日と重なってしまうので、一日損した気分になる方も多いかもしれない。

私は9日の土曜日に勤務したので、日・月・火と三連休になった。日曜は天気も良かったので、午前中に走って午後は、「ビーチ」に出掛けてみた。f:id:nobuon109:20170912101746j:plain

仲間の集まる、「知る人ぞ知る」ところである。数は多くなかったが、みなさん楽しげに過ごしておられた。私は、通りすがりの人のように振る舞ったつもりだが、果たして・・・。画像の通り、海は秋の気配が漂っていて、実にさわやかだった。晴天であれば、10月いっぱいは「日光浴」が楽しめるはずだ。もう一度くらい、行ってみようかなと思っている。

重陽の節句(月下美人を愛でる)

昨日9月9日は五節句の一つ、「重陽」であった。菊の節句とも言われ、秋の訪れを意識しながら、菊の花を愛でるという、典雅な過ごし方をなさった方もあるかもしれない。

先日、「月下美人が、咲いたので見においで」と知人が誘ってくれたので、初めてナマで見ることができた。派手な姿ではないのに、その存在感に驚かされた。その名の通りというべきか、はたまた名は体を表すというのか。眼福という単語も頭に浮かんだ。

門あさ美という歌手がいて、彼女の最大のヒット曲のタイトルが「月下美人」。曲、それを歌う彼女の声や風情、大好きだった。手元には何も残っていないので、YouTubeで探してみよう。

八月の総括(214)

九月の声を聞いたと思ったら、めっきり秋らしくなって来た。恒例の、前月の総括をしてみよう。

ブログにも書いた通り、初めての真夏のフルマラソンが最大のイベントだった。来年以降も参加したいと感じたのが、一番の収穫だった。それと同じくらい、嬉しかったのが旧友との再会や交流。

「持つべきもの」はいくつかあるし、それは人それぞれだが、やはり友達はその最たるものだと感じた。マラソンや仕事、そしてSNS を通しても、年齢的にも幅広く友人を見つけている自分に驚いている。頑ななところがあって、それほど友達が多いタイプではなかった、思春期までの私を知る人には驚かれることもある。

今の職場で仲良くしてくれる、年下の人達からは、陽気でおしゃべりな人間と見なされているようで、そのことに「びっくりする」と言うと、逆にびっくりされる。前にも書いたが、「歳は取ってみるもの」人の性格や行動は、変わって行くもののようだ。そして、変わって行く自分を意識しつつ、変えてはならないものや、守るべきものを大切にしようと思うところである。

大会は終わったが、走るのにもってこいの季節になる。九月も250キロを目標に、走ろう。