中央線(総武線)の車内から、雛壇状に観客席が見えていた。そう、本来は水泳競技を応援するためのスペースが、相互にアピールする「舞台」と化していたのである。
仲間の集まる場所だと知ったのは、学生生活も折り返した後だった気がする。「ひと夏」ならぬ二夏の経験とばかりに、通った。
幅広い年齢層、それぞれ「趣向」を凝らした出で立ち、一人・カップル・グループ。まさにカオス。あるいは巣窟。視線が合い、どちらからともなく言葉を交わす。
それ以上の進展はないのがほとんどだったが、たまには食事をしたりすることもあった。名乗り合うこともないままの「出会いと別れ」だと、予防線を張っていた。私だけの悲しい習慣だったのかもしれない。
当時は携帯電話などというものは影も形もなかった。ポータブルの電話や自動車電話が、開発中だというニュースに接して、「どれ程のニーズがあるのだろう。」と採算性を心配したのは、私だけだったのだろうか。今となっては、自分の「見る目のなさ」に笑うしかない。
行きずりの、儚い邂逅。
もしあの頃、携帯電話やスマートフォンが普及していたら私の青春も、まったく違うものになっていただろう。「謳歌」していたかもしれないし、「泥沼」でもがいていたかもしれない。いずれにしても、現実にはあれしかなかった。
30年以上の歳月を経て、私はここにいる。神宮プールは、その痕跡すらない。