ランニングと海が

海まで走って一休み。帰りも走るつもりが、気が変わってのんびり歩く。そんな日々も気づけばかれこれ30年近く。還暦を過ぎて、定年退職と転職さらには離婚と身辺には大きな変化がありました。新しい仕事にもようやくなじんで来たところです。単身生活にもすっかり慣れて、行動範囲を広げつつあるgayの身辺雑記。

共有の難しさ(2)

続けてみます。

高校を経て大学生になると、周りも大人になり(こういう表現がひんしゅくを買うのだろう…)随分居心地が良くなった。選んだ学校がたまたま自分に合っていたのも幸いした。全国各地から集まった、おっとりした育ちの男女の集団。蔦の絡まるチャペルを横目に並木を歩く日々。テニスとスキーを、季節に合わせて少しだけ「嗜む」若者の一人だった。

性的指向に関する悩みはあるものの、それは秘め事であるから、ある意味当然のことと、棚に上げて本当に青春を謳歌した。生活費を捻出するためにアルバイトに明け暮れた5年間の浪人・学生時代は、かけがえのないものだ。この頃から「オンとオフ」の切り替えが上手くなってきたのではないかと思う。集団の中、少人数のグループ、一対一、そしてその組み合わせ。場数を踏んで、成功したり失敗したりを繰り返しながら、パターンを身に付けて行ったように思う。そして、部屋に戻って一人きりになった後にスイッチを切る感じ。

二重(多重?)人格的かもしれないが、そうすることで楽しい日常生活を送ることができるようになったのではないか。

職に就いてからも、周囲の人に恵まれいろいろな経験を積むことができた。多分、それ以降に知り合った人達は、私のことを楽天的で強気な人間だと思ってくれていることだろう。そういう「キャラ」をやって来たという自覚はある。私にとって、それは「誰かと時間や空間を共有する」ために必要不可欠なものである。

「スイッチの切れた」状態を見せたのは、高校卒業まで一緒に暮らしていた家族だけ。それ以外では妻が唯一の存在ということになる。
ありのままの姿を、お互いにさらしてなお、「この人となら」「この人だけは」と思える相手と結婚したと思っていたとすれば、申し訳ないと謝るしかない。