ランニングと海が

海まで走って一休み。帰りも走るつもりが、気が変わってのんびり歩く。そんな日々も気づけばかれこれ30年近く。還暦を過ぎて、定年退職と転職さらには離婚と身辺には大きな変化がありました。新しい仕事にもようやくなじんで来たところです。単身生活にもすっかり慣れて、行動範囲を広げつつあるgayの身辺雑記。

ネタ

以前からこのブログをやっている友人に勧められて、グループに参加してみました。新参者ですがよろしくお願いします。

グループのみなさんの記事を、あれこれ拝読して思うのは、「吹っ切れている」方が多いなということと、「語るべきものがあって、それが溢れてくる」感じで文章が綴られているということです。

何をネタにすれば良いか、つい考えてしまって新しい記事を書けずにいる私ですが、余り気負わずにやっていくことにします。

ネタと言えば、「ズリネタ」。インターネットなど影も形もなかった時代に、思春期を過ごして青年期に突入した50代も半ばの私のそれは、直接見聞きすること(モノ)よりは、イメージというか妄想がほとんどすべてでした。基本的には、今も変わっていなくて、イメージをネット上の画像が増幅してくれる感じです。

理想通りの人が、さりげなくそれでいて積極的にモーションを掛けてくれる状況下で、「ダメだ、我慢するんだ」という「理性」がふっとんで、堕ちて行くというのが、私の定番です。

「さぶ」(雑誌の方)

先日、山本周五郎の小説について書いたものの最後に、思わせ振りな書き方をしていたのを反省して、ダイレクトに書こうと思う。

このブログの説明も修正、補足したところだが、私はgay である。
自分の性的志向に気づいたのは、10代の初めだから、もう40年以上それと付き合ってきたことになる。封印しようと「努力」したり、「バレる」ことを恐れたりとじたばたした時期もあった。ある時から、もういいやと吹っ切れて、なるべく無理なことをしないようにして来た。

「さぶ」は若い時に、書店で見つけて驚いた。それは他のいくつかの雑誌も同様で、一大決心の末に買っては、保存・処分に困って遠くの街に捨てに行くことの繰返しだった。

インターネットで、あらゆる情報や画像に接することの出来る現代の生活では、考えられないほど、うぶというか、純情だったあの頃の自分(たち)を、思い出してみるが、可愛い気はあったと言えるのではないか。

さぶ

山本周五郎の作品。
何度も読んで、その度に自分の中の汚れたものがほんの少しだけ、浄化される感じです。

トーリーは至ってシンプル。表向きの主人公が苛酷な運命に翻弄され、ギリギリのところで人の優しさとか真実に救われることで成長するというもの。

「さぶ」は主人公の近くにいて、引き立て役というか損な役回りなんだけど、彼がいて初めてこの物語が成立するという存在。タイトルでもあるし。

女の子の登場人物もとても魅力的なので、何人かで読んで、誰が好きか議論するのも面白いかも。

「さぶ」と言えば、同じタイトルの雑誌があった。今もあるのかどうかは知らないが、私には衝撃的なものだった。

そのあたりは、いずれまた日を改めて。

「夏の思い出」

夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬

のあの曲である。とても美しくて、どこか憂いも感じられる。ふと頭に浮かんで来るのは、今ごろの季節である。

水芭蕉ってどんな花だ?」「尾瀬ってどこだ?」と思いながら、調べたりはしないのが子供の頃の私の特徴だった。頭には残るが、解決しようと「努力」するという発想や行動につながらない。
もし、幼い時からそういうことをするタイプだったら、随分「立派」な人になっていただろう。友達が多かったどうかはわからないが。

誰にでも一つぐらいは 忘れられない夏がある♪

で始まるのは竹内まりやが作り、高畑充希が歌った「夏のモンタージュ」という曲。偶然知って、気に入っている。竹内まりやが歌っているのも聴いたが、高畑版の方が好きだ。

夏の思い出。この歳になれば数え切れないほどたくさんある。その中で、大袈裟な表現ではあるが「人生を変えた」出来事や出合いとなると、当然絞られて来る。
高校卒業後、大学に一つも受からなかった私は、予備校に通っていた。初めて、「もしかしたら、自分はあまり頭が良くないのではないか。」と思った。書いていて、実に恥ずかしいが事実である。予備校での授業はつまらなかった。高校とは全く違う点がいくつもあったが、一番イヤだったのは「君たちは能力が低いから、受験に失敗したのだ。」と講師に決めつけられることだった。

大学受験が全てではないと、心を込めて語りかけてくれた高校時代の先生方。そのおかげもあって高校は大学受験のために存在するのではないと、実感させてくれた我が母校。
私の思いや体験が「正しい」と証明することができないかと考え始めた18歳の「夏の思い出」である。

「一瞬の風になれ」佐藤多佳子

佐藤多佳子さんの出世作本屋大賞の受賞作でもある。息子が高校生だった頃に、その時の若い同僚が貸してくれたのが、きっかけで出会った。親子で(家族揃って)夢中になって読んで、感想を語り合ったりしたのも、記憶に残っている。同僚に返してすぐに、買い求めて何度か読んだ。

大学生になる時に、引っ越しの荷造りが一向に進まなかった息子が「やっぱりこれは。」と言いながらバッグに入れたのも、忘れられない思い出である。それから早くも四年の月日が流れた。
今でも息子にとって、大切な作品の一つになっているはずだ。

我が家用に、改めて買い求めたものが文庫本で一揃いある。先日、新作の書評を新聞で読む機会があった。近影というのか、大きく写真も掲載されていた。近いうちに読んでみよう。

5月の総括 海がランニングの○○

慌ただしく過ぎた5月だった。

GWはほぼ暦通りに、仕事と休みが交互にある感じで経過した。家族で過ごした時間も結構あり、大きなイベントも無事に終了した。

ランニングも、計画を柔軟に変更しつつ最終的には目標値の月間250キロを越えられたので良かった。今年の目玉、北海道マラソンまで三ヶ月を切ったので、この調子で走りたい。タイムも何とか4時間を切って、あわよくば50代の自己記録を更新したい。何年かぶりに3時間20分台が出せたら嬉しい。

この記事のタイトル、「海がランニングの○○」。
○○には、一体何が入るのかと思いながらここまで読んで下さった方、申し訳ありません。

言い訳に過ぎないが、これからの季節は走る時に短パンやタイツ、スパッツの下に水着を着用することが多い。昔風の競泳パンツが好きなので、それを身につけて走り出す。
しっかり走ってから、海に入って一泳ぎと思うのだが、ついついすぐに水の中へ。あとは、日焼けも気にせずダラダラ海で遊ぶという、幼い子供の行動そのもの。

今年こそは、夏もしっかり走って北海道マラソンでそれなりの結果を出したい。よって、ここに目標タイムと自分で決めたルール、「ちゃんと走ってから海で遊ぶ」を書いておくことにする。「破戒」とならぬようにせねば。

「サザエさん」再び

サザエさん」にまつわることを書いた半月ほど前の記事を、思いがけず沢山の方が読んで下さったので、感謝を込めて補足を。

サザエさん」を見なくなったと書いたが、より正確には「見る時間がなくなった」と「あまり見たいと思わなくなった」の両方だ。

田舎の農村で、農家ではない工場勤務の両親の元で育った私は、ある時期まで「サザエさん一家に屈折した憧れを抱いていた。ストレートに良いなぁと思い、そう表現すれば可愛いげもあろうが、そんなに単純なものではない。

電車で都心のオフィスに出勤する、波平とマスオ。何故か学校の成績が悪いカツオ。そのカツオに対する好意を誰憚ることなく表現する花沢さん。

何もかもが、自分とは違っていた。もちろん、作り話だし、変に「保守」的だし、押し付けがましいところもあるとは思っていたが、カツオの境遇には嫉妬した。

私達の世代で、色んな意味で無理をしてでも上京して大学に入った人は多いのだが、カツオ(の境遇)に嫉妬したっていう話は聞いたことがない。

時が流れて、たまたま親になり二人の我が子も、それぞれ親元を離れたところで大学卒業まで過ごした。「アパートで今ごろ『サザエさん』を見ているのかなぁ」と思ったこともあった。
職場で、ひどく行き詰まり日曜日の夕方が嫌でたまらなかった時期もあった。

サザエさん」に対する見方や接し方が変化したのは、当然のことだが、今痛感するのは、アニメには制作意図というものが色濃く投影されるということ。知らず知らずのうちに刷り込まれてしまうものがあるということ。視聴率が落ちているとも聞くが、さもありなん・・・。

若干の懐かしさはあるものの、「サザエさん」からは卒業する時が来たと思っている。