ここ数年、この時期私の部屋は花の香りで満たされている。年に2度ある大きなイベントを彩ってくれる花を、終了後に職場の皆で分けて自宅に持ち帰るからだ。
それ加えて、今年は定年退職ということで、以前に関わった方が、花束を持って「お祝い」に来てくれるというサプライズもあった。全く予想もしていなかっただけに、本当に嬉しく感じた。
タイミングを測りながら、同僚達に3月末で完全に職場を離れることを伝えている。一様に、驚きと慰留、人によっては翻意を促したりもしてくれた。そういう反応を、言葉通りに受け取ることが出来るのは、「おめでたい」ことなのかもしれないが、素直に喜んでいる自分は、悪くないと感じる。そんな風に感じさせてくれる同僚の皆に感謝するばかりである。
お世辞とかリップサービス、いわゆる「営業トーク」の類にあまりとらわれずに、働いて来られたのはもちろん職種や職場によるものだが、自分の元々の感覚や発想の「おかげ」ではないかと思っている。
言葉を額面通りに受け取ること、「裏」や含みを必要以上に考えることなく、ほぼそのまま理解するのは程度の問題があり、あるレベルを越えるとそれは「発達障害」の範疇になるようだ。私がそのレベルを越えているのかどうかは、専門医の診断を受ける一歩手前で中断したので、今でも判明していない。
物ごころついてからの、50余年を振り返ってみると間違いなくグレーゾーンだろう。それでも、特に大きな問題や苦労もなく、ここまでやって来られたのはなぜか、いろいろ分かって来たこともある。退職後も、4月から別の新しい仕事をやるが、そこでの出会いにも期待している。
そう思えるのは、これまで周囲の人に恵まれて来たという確かな手ごたえがあるからだ。改めて感謝したい。