すっかり暖かくなって、走っていると暑く感じることも多くなって来た。4ヶ月連続で月間走行距離が200キロを超えたのは、良かった。
何度か記事にして来た通り、3月末で定年退職を迎えることが出来た。退職の日まで通常通りの年度末の業務があったので、特に感慨に耽るということもなく、同僚たちと忙しくも楽しい毎日を送って、いつも通りに年度末を迎えた。一つだけこれまでと違ったのは、翌日4/1に出勤する場所と、業務内容。新しい仕事に就いて、早くも1週間過ぎた。徐々に慣れて行けば良いと思っているし、まだ仕事という仕事も出来ないので、ボチボチやって行こうと自分に言い聞かせている。
ちょうど良い機会なので、37年の社会人生活も総括してみようと思う。読んで下さる皆さんの中で、同年代の方には共通する部分があるのかもしれないが、どうなのだろう…。
大学の卒業式を終えて、慌ただしく帰省して数日後に赴任先が確定することになっていたので、荷解きしないままにしていた。
引っ越し荷物を、そっくりそのまま借りたアパートに運んで始まった社会人としての暮らし。生まれ育った福岡県内とはいえ、全く知らない土地での暮らしは慣れるまでは大変だった。交通機関がそれほど便利な場所ではなかったのが一番困った点。なまじ、東京で暮らしていたものだから、最寄りのスーパーまで行くにも車が必要になるような生活は、結構不自由だった。
そんなことより何より、仕事が全くの素人というか未経験で、OJTと言えばまさにそうなのだが、とにかく何も分からないなりになんとか、見よう見真似でやるしかない…。今でも、よくやれたなというかよくあれで許して貰えたなと、冷や汗が出る。
おおらかな時代だった。新人が上手く出来ないのは当たり前。とにかく失敗しながら、一つ一つ仕事を身に着けて行くだけ。分からないなりになんとか自分でやれるところまでやってから、先輩に助言を求めるというスタイルは、私には合っていたのだろう。
もともと周囲からの評価をあまり気にしないタイプなのも、良かったのかもしれない。
「我が道を行く…。」が比喩ではないところが、私らしい。見るに見兼ねた先輩が、それとなくあるいはズバリ指摘してくれることをありがたく、素直に受け入れて社会人一年生を過ごせたのは、本当に幸せなことだった。あの職場で、あの先輩方に出会えなかったら恐らく定年まで仕事を続けることはなかっただろう。クビになっていたか、自分で退職願を出していたかいずれにしても、今の状況で今日の日を迎えることはなかったと断言する。
その1はここまで。to be cotinued…